たこ梅の歩み

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弘化元年(1844年)、大阪 日本橋(にっぽんばし)は道頓堀筋に、岡田梅次郎が、「たこ甘露煮」と「関東煮(おでん)」の店を創業しました。 当時、「たこ」とよばれるカウンター形式の店であったことと、自身の名から一文字「梅」をとって、屋号を「たこ梅」としました。

昭和40年頃の「たこ梅」本店
昭和40年頃の「たこ梅」本店

大阪では、サエズリやコロの鯨の関東煮(おでん)は歴史がありますが、「さえずり」を初めて関東煮(おでん)の種としたのが、初代店主「岡田梅次郎」でした。

今では、いろいろなお店で愛用されている錫の上燗コップですが、もともと、燗酒が冷めにくいようにと中空の二重構造仕上げにすることを思いつき、たこ梅が、当時、錫製品・錫工芸品の大手であった「錫半」さんに製造を依頼したものです。

現在でも「たこ梅」では、この上燗コップでお酒を召し上がっていただいております。

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当時の店内

二代目、三代目と受け継がれましたが、太平洋戦争のため営業休止においこまれます。 それを三代目「岡田松治郎」と四代目「岡田正弘」が、戦後の混乱の中、懸命に復興いたしました。

この頃、作家の織田作之助さんや開高健さん、池波正太郎さん、吉田健一さんなどが、よくお店においでになり、その小説や随筆にしばしば「たこ梅」が登場いたします。

例えば、織田作之助さんの「夫婦善哉」では「たこ甘露煮」が、開高健さんの「新しい天体」では「さえずり」が描き記されております。

世の中が平成になった頃、四代目が亡くなり、その後、必死に店を守った女将も病に倒れたのを期に、日本橋・道頓堀の「たこ梅」本店は、平成14年に一旦閉店をよぎなくされました。

新梅田食堂街の周辺(昭和48年)
新梅田食堂街の周辺(昭和48年)

その後、五代目店主「岡田哲生」が、本店の復興に力を注ぎ、当時の外観と内装を最大限残して建物を修復、平成19年10月復活、リニューアルオープンいたしました。

時は前後しますが、三代目のとき、その長女「岡田宣子」が、旧国鉄大阪駅の高架下 新梅田食道街に 北店(昭和25年12月)と 分店(昭和28年12月)を出店いたしました。

そして、昭和38年に当時「東洋一」といわれた巨大地下街「ウメダ地下センター」(現 ホワイティうめだ)がオープンし、「たこ梅」も東店を出店いたします。

その後もお客様のご愛顧と従業員のがんばりのおかげで、これまで営業を続けることができました。おかげさまをもちまして、日本橋・道頓堀の本店と梅田の北店・分店・東店の三店舗、そして、お取り寄せ(通信販売)で、今日に至っております。

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